ORIGIN

日本人の起源

日本人はどこから来たか、そのルーツについて解説します。

日本人のはじまり

日本人について

日本人の起源

日本人のはじまり

人類の祖先は600万年前まず類人猿と分かれたのち、紆余曲折を経て今から15万年前、ついにホモサピエンス(現在の人類の祖先)が登場してきたのです。 その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出します。 中東地域に進出した人類...
日本人の起源

遺跡からみた日本人

現在、日本列島にひとが住み始めたのは約3~4万年前だろうといわれています。 しかしながら長い間、我が国では縄文時代より前(旧石器時代)に人類はいなかったと信じられていました。 ところが、1949年(昭和24年)、群馬県岩宿で1~2万年前の関...
日本人の起源

骨からみた日本人

旧石器時代 日本は土壌の酸性度がつよいことから骨が残りにくいため、旧石器時代の遺跡から人骨が見つかることは稀です。 沖縄の採石場から発見された9体の湊川人は偶然石灰岩にガードされたため保存され、我が国で最も古い1万8千年前の人骨とされていま...
日本人の起源

身体的特徴からみた日本人

縄文人 一度に300人の縄文人骨が発掘された東筑摩郡北村遺跡では縄文人の身体的特徴をよく物語っています。 身長は男性158㎝、女性151㎝でと小柄で、年齢は平均34歳でした。 頭は前後に長く頭髪は波状で、顔立ちは彫りが深く、頬骨、顎はよく発...
日本人の起源

血液型からみた日本人

日本人の血液型を大まかに分類するとA型が40%、O型が30%、B型が20%、AB型が10%です。 現在日本人の多数派であるA型は西日本を中心に広く分布し、東に向かうほど少なくなっています。 逆にB型は東北、中部地方に多く、西に向かうほど少な...
日本人の起源

GM遺伝子からみた日本人

GMはガンママーカーの略で、免疫グロブリンの血液型というふうに理解していただければよいとおもいます。 私たちの血液中に含まれるタンパク質はアルブミンとグロブリンからなり、このグロブリンを4つに分けたうちのガンマグロブリンというのが免疫グロブ...
日本人の起源

ミトコンドリア遺伝子からみた日本人

9人のイブの娘 ミトコンドリア遺伝子は100%母性遺伝です。 ですから、ミトコンドリアDNA解析をすれば、女性の系統の祖先が解るという特徴があります。 これを利用して2001年、オックスフォード大学のブライアン・サイクス教授が人類共通の母親...
日本人の起源

ウイルスからみた日本人 

血液中の白血球の30~40%を占めるのがリンパ球です。 そのなかで免疫をつかさどるのがT細胞(CD4リンパ球)です。 このT細胞に好んでくっつくのがレトロウィルスで、その代表的なのが成人T細胞性白血病(ATL)を引き起こすATLウィルスです...
日本人の起源

石器からみた日本人

旧石器時代とは石器だけで生活していた時代です。 これに対し、12,000年前、土器を造って食生活を始めてからを新石器時代と呼んで区別しています。 我が国では旧石器時代、まずナイフ型石器(20,000年前)があらわれ、のち細石刃(14,000...
日本人の起源

犬の血液型からみた日本人

縄文人と犬 縄文人がもっとも生活を共にしていた動物は犬でした。 ペットとして、また鹿やイノシシの狩りにも大いに活躍していたようです。 縄文時代の貝塚をみると、ほかの動物は食べた後ばらばらに捨てられているのに対し、イヌの骨はきちんと埋葬されて...
日本人の起源

米からみた日本人

稲の期限 稲の起源は中国雲南省あたりといわれています。 すでに6,000年前から稲作は日本に伝わっていましたが、湿地や焼畑のため収穫はわずかにとどまっていました。 現在我々が食べている温帯ジャポニカ種は長江中、下流域で発生し、紀元前500年...
日本人の起源

言葉と日本人

口語の成り立ち 口語(話し言葉)は6,000年も前に発生の兆しがみられ、文法・音韻は北方系モンゴロイドの特徴を示していますが、目・耳・口・月・日など基本語といわれるものはマレー、ポリネシアなど南方系モンゴロイドの特徴をもっています。 まず基...
日本人の起源

日本人起源考 終章

以上の歴史的事実を俯瞰しますに、東に向かった人々にとって最果ての地ともいうべき日本へ流れ着いた人々は数人、数十人のことも数百人のこともあったでしょう。 ともかく数えきれないほど訪れたなかで、4度はまとまって日本へ入ってきたようにおもわれます...
幕末

“そうせい侯” 毛利敬親(たかちか)

米国との通商条約を朝廷の許可を得ずに結ぶとは何事かというのが水戸・尾張・越前藩主ら一橋派の抗議である。 安政5年4月、大老となった井伊直弼は、話しの内容はともかく彼らが許しも得ずに登城したのは不敬の至りであるとして、強引にも彼ら全員を隠居、...
幕末

水戸学のジレンマ

水戸家は徳川御三家の一つで、唯一江戸に常勤し将軍を補佐する副将軍である。 その水戸家が幕末にいたり、将軍家にとって獅子身中の虫になってしまった。 すなわち水戸学なるものがあろうことか、倒幕派の思想的支柱になったのである。 その発端は水戸黄門...
興味深い日本人

島津久光のジレンマ

長州、満を持して登場 万延元(1860)年桜田門外の変で井伊直弼という強烈な個性を失って以来、幕府は政治の舵取りを失い迷走状態となった。さらには外国の威圧に腰砕けとなって、さかんに朝廷の顔色を窺うようになった。 公武合体はこの弱腰からでた理...
幕末

島津久光のジレンマ

万延元(1860)年桜田門外の変で井伊直弼という強烈な個性を失って以来、幕府は政治の舵取りを失い迷走状態となった。 さらには外国の威圧に腰砕けとなって、さかんに朝廷の顔色を窺うようになった。 公武合体はこの弱腰からでた理屈で、もはや幕府が自...
医学史ひとこま

緒方洪庵 ”扶氏医戒之略”

洪庵の人柄は温厚でおよそ人を怒ったことが無かったという。 幕末を代表する教育者として、今も吉田松陰と並び証せられる人物である。 彼はベルリン大学フーフェランド教授の内科書扶氏経験遺訓に感激し、30巻に及ぶ翻訳書を書き上げると共に、巻末に記さ...
医学史ひとこま

シーボルトのみた日本

医師、シーボルト 日本人にとってシーボルトは日本近代医学の恩人として記憶に新しい。 ところがヨーロッパ社会は、彼を医学者でなく世界一の日本通、とくに日本植物におけるエキスパートとして評価しており、同じ賞賛にしてもその評価は奇妙なほど異なる。...
興味深い日本人

村田蔵六(大村益次郎)の武士道

緒方洪庵の適塾 適塾は医学塾というより蘭学塾である。医師緒方洪庵が診療と平行して開設したものである。その人情味溢れる教育指導は全国に鳴り響き、門弟は延べ3000人を数えたという。 幕末、西洋を知るには蘭語だけがその糸口であり、ペリーの恫喝に...
日本人気質

切腹の美学

土佐勤王党、吉田東洋を暗殺 土佐勤王党の領袖・武市半平太が壮烈な三文字腹で切腹したのは、慶応元年5月、陽が落ちて篝火の焚かれる時刻であった。 土佐勤王党は武市が"一藩勤皇"を唱え、下級藩士・郷士200名を擁して成立した。これに対し土佐藩参政...
興味深い日本人

甲子夜話(かっしやわ)の著者 松浦静山

平戸藩 藩主・松浦静山 文政4年(1821年)11月17日、甲子(きのえね)の夜、平戸藩の元藩主、松浦(まつら)静山は親友、林大学頭(だいがくのかみ)の勧めにより、心にとどめた日常の出来事を日々書き留めることとした。62歳のことである。 以...
興味深い日本人

時代を先駆けした田沼意次

希代の財政通 田沼意次 儒教は農業を基盤とした世界であって、商業では決してない。まして士大夫たる武士が商売に携わるなど、想像だにできぬことであった。 そういう観念で頭ががんじがらめになっている江戸城に、突然ふって沸いたように、商業で幕府の財...
医学史ひとこま

解体新書

山脇東洋と酒井忠用 たとえ処刑された罪人であっても、そのからだを切り刻んで中を覗いてみるなど、儒教国日本では義に反する不遜極まりない出来事である。 五臓六腑の真否を正すため人体解剖をしたいという山脇東洋の願いは、不義・不忠のきわみであった。...
江戸時代

時代を先駆けした田沼意次

儒教は農業を基盤とした世界であって、商業では決してない。 まして士大夫たる武士が商売に携わるなど、想像だにできぬことであった。 そういう観念で頭ががんじがらめになっている江戸城に、突然ふって沸いたように、商業で幕府の財政を立て直そうとする人...
title
sub-title
title
sub-title
title
sub-title
title
sub-title