浦岡 正義

医学史ひとこま

細菌学の普仏戦争

よきライバル、コッホとパスツール 1870年、フランスのナポレオン3世によるドイツ統一妨害工作をきっかけに普仏戦争が勃発。 鉄血宰相ビスマルクが牽引するドイツ連邦軍はフランス軍に圧勝し、翌年パリは陥落、ドイツ帝国が誕生しました。 ちょうど期...
興味深い日本人

竜馬と後藤象二郎

象二郎、竜馬と手を組む 慶応3年の土佐藩はとりわけ多忙である。 その年の1月、後藤象二郎が長崎にやって来たのを知った亀山社中の面々は、竜馬に土佐勤王党の仇敵である彼を斬ろうと気色ばんだ。 ところが実際竜馬が会ってみると、意外にも馬が合った。...
幕末

竜馬と象二郎

慶応3年の土佐藩はとりわけ多忙である。 その年の1月、後藤象二郎が長崎にやって来たのを知った亀山社中の面々は、竜馬に土佐勤王党の仇敵である彼を斬ろうと気色ばんだ。 ところが実際竜馬が会ってみると、意外にも馬が合った。 仇敵でありながら意気投...
興味深い日本人

そうせい侯 毛利敬親(たかちか)

戊午(ぼご)の密勅 米国との通商条約を朝廷の許可を得ずに結ぶとは何事かというのが水戸・尾張・越前藩主ら一橋派の抗議である。 安政5年4月、大老となった井伊直弼は、話しの内容はともかく彼らが許しも得ずに登城したのは不敬の至りであるとして、強引...
愛媛県展望

松山市紹介

石手寺と衛門三郎 当院は松山市の東南、四国八十八か所のうち51番札所・石手寺のそばに位置します。 石手寺は奈良時代の創建ですが、その縁起については遍路の元祖とされる衛門三郎の転生物語があります。 813年に弘法大師が伊予の国を訪れた際、土地...
日本人の起源

日本人のはじまり

人類の祖先は600万年前まず類人猿と分かれたのち、紆余曲折を経て今から15万年前、ついにホモサピエンス(現在の人類の祖先)が登場してきたのです。 その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出します。 中東地域に進出した人類...
日本人の起源

遺跡からみた日本人

現在、日本列島にひとが住み始めたのは約3~4万年前だろうといわれています。 しかしながら長い間、我が国では縄文時代より前(旧石器時代)に人類はいなかったと信じられていました。 ところが、1949年(昭和24年)、群馬県岩宿で1~2万年前の関...
日本人の起源

骨からみた日本人

旧石器時代 日本は土壌の酸性度がつよいことから骨が残りにくいため、旧石器時代の遺跡から人骨が見つかることは稀です。 沖縄の採石場から発見された9体の湊川人は偶然石灰岩にガードされたため保存され、我が国で最も古い1万8千年前の人骨とされていま...
日本人の起源

身体的特徴からみた日本人

縄文人 一度に300人の縄文人骨が発掘された東筑摩郡北村遺跡では縄文人の身体的特徴をよく物語っています。 身長は男性158㎝、女性151㎝でと小柄で、年齢は平均34歳でした。 頭は前後に長く頭髪は波状で、顔立ちは彫りが深く、頬骨、顎はよく発...
日本人の起源

血液型からみた日本人

日本人の血液型を大まかに分類するとA型が40%、O型が30%、B型が20%、AB型が10%です。 現在日本人の多数派であるA型は西日本を中心に広く分布し、東に向かうほど少なくなっています。 逆にB型は東北、中部地方に多く、西に向かうほど少な...
日本人の起源

GM遺伝子からみた日本人

GMはガンママーカーの略で、免疫グロブリンの血液型というふうに理解していただければよいとおもいます。 私たちの血液中に含まれるタンパク質はアルブミンとグロブリンからなり、このグロブリンを4つに分けたうちのガンマグロブリンというのが免疫グロブ...
日本人の起源

ミトコンドリア遺伝子からみた日本人

9人のイブの娘 ミトコンドリア遺伝子は100%母性遺伝です。 ですから、ミトコンドリアDNA解析をすれば、女性の系統の祖先が解るという特徴があります。 これを利用して2001年、オックスフォード大学のブライアン・サイクス教授が人類共通の母親...
日本人の起源

ウイルスからみた日本人 

血液中の白血球の30~40%を占めるのがリンパ球です。 そのなかで免疫をつかさどるのがT細胞(CD4リンパ球)です。 このT細胞に好んでくっつくのがレトロウィルスで、その代表的なのが成人T細胞性白血病(ATL)を引き起こすATLウィルスです...
日本人の起源

石器からみた日本人

旧石器時代とは石器だけで生活していた時代です。 これに対し、12,000年前、土器を造って食生活を始めてからを新石器時代と呼んで区別しています。 我が国では旧石器時代、まずナイフ型石器(20,000年前)があらわれ、のち細石刃(14,000...
日本人の起源

犬の血液型からみた日本人

縄文人と犬 縄文人がもっとも生活を共にしていた動物は犬でした。 ペットとして、また鹿やイノシシの狩りにも大いに活躍していたようです。 縄文時代の貝塚をみると、ほかの動物は食べた後ばらばらに捨てられているのに対し、イヌの骨はきちんと埋葬されて...
日本人の起源

米からみた日本人

稲の期限 稲の起源は中国雲南省あたりといわれています。 すでに6,000年前から稲作は日本に伝わっていましたが、湿地や焼畑のため収穫はわずかにとどまっていました。 現在我々が食べている温帯ジャポニカ種は長江中、下流域で発生し、紀元前500年...
日本人の起源

言葉と日本人

口語の成り立ち 口語(話し言葉)は6,000年も前に発生の兆しがみられ、文法・音韻は北方系モンゴロイドの特徴を示していますが、目・耳・口・月・日など基本語といわれるものはマレー、ポリネシアなど南方系モンゴロイドの特徴をもっています。 まず基...
日本人の起源

日本人起源考 終章

以上の歴史的事実を俯瞰しますに、東に向かった人々にとって最果ての地ともいうべき日本へ流れ着いた人々は数人、数十人のことも数百人のこともあったでしょう。 ともかく数えきれないほど訪れたなかで、4度はまとまって日本へ入ってきたようにおもわれます...
幕末

“そうせい侯” 毛利敬親(たかちか)

米国との通商条約を朝廷の許可を得ずに結ぶとは何事かというのが水戸・尾張・越前藩主ら一橋派の抗議である。 安政5年4月、大老となった井伊直弼は、話しの内容はともかく彼らが許しも得ずに登城したのは不敬の至りであるとして、強引にも彼ら全員を隠居、...
愛媛県展望

四国八十八カ所

仏教は突然訪れた訪問者 四国八十八カ所をめぐる人々が皆、空海の遺徳を偲んで旅しているわけではありません。 挫折感に打ちひしがれ、心の安寧や立ち直るきっかけを掴みたいという人、信仰によって病気を治したいという人、亡き人を偲ぶ弔いの旅人、歴史探...
記憶に残る伊予人

幕末の四賢侯 伊達宗城(だてむねなり)

たとえばわが国が今から260年間、外国と国交を断ち、あらゆる海外情報をシャットアウトしたとしよう。 260年後に会った外国人は異星人のごとく理解の範囲を越え、対応に苦慮するに違いない。 伊達宗城たちが置かれた状況はこれに近い。 わずかに長崎...
幕末

水戸学のジレンマ

水戸家は徳川御三家の一つで、唯一江戸に常勤し将軍を補佐する副将軍である。 その水戸家が幕末にいたり、将軍家にとって獅子身中の虫になってしまった。 すなわち水戸学なるものがあろうことか、倒幕派の思想的支柱になったのである。 その発端は水戸黄門...
記憶に残る伊予人

最後の伊予大洲藩主・加藤泰秋

東京遷都 明治元年9月、若干22歳の伊予大洲藩主・加藤泰秋は明治天皇一行の東京行幸(事実上の遷都)にあたり、その前がけ(行列の先頭)を務めることとなった。 長年尊王・勤皇にいそしんできた加藤 泰秋にとって眩しいばかりの栄誉であった。 明治政...
興味深い日本人

島津久光のジレンマ

長州、満を持して登場 万延元(1860)年桜田門外の変で井伊直弼という強烈な個性を失って以来、幕府は政治の舵取りを失い迷走状態となった。さらには外国の威圧に腰砕けとなって、さかんに朝廷の顔色を窺うようになった。 公武合体はこの弱腰からでた理...
幕末

島津久光のジレンマ

万延元(1860)年桜田門外の変で井伊直弼という強烈な個性を失って以来、幕府は政治の舵取りを失い迷走状態となった。 さらには外国の威圧に腰砕けとなって、さかんに朝廷の顔色を窺うようになった。 公武合体はこの弱腰からでた理屈で、もはや幕府が自...
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