浦岡 正義

興味深い外国人

タイソン・ゲイの世界

世界陸上が終わった。 圧巻はゲイの100メートルだった。自分も学生時代、陸上短距離の選手だった。 同級生に100メートル10秒台の四国チャンピオンがいて、一緒に走ると10メートル近く引き離されたくやしい思い出がある。 当時は彼を超人のような...
医学史ひとこま

緒方洪庵 ”扶氏医戒之略”

洪庵の人柄は温厚でおよそ人を怒ったことが無かったという。 幕末を代表する教育者として、今も吉田松陰と並び証せられる人物である。 彼はベルリン大学フーフェランド教授の内科書扶氏経験遺訓に感激し、30巻に及ぶ翻訳書を書き上げると共に、巻末に記さ...
記憶に残る伊予人

日本初の女医を育てた二宮敬作

シーボルト 二宮敬作は仁義に篤く、礼節をわきまえ信に足る人物であった。 幕末、八幡浜市保内町の寒村に住む少年がいかにしてこのような教養を身につけたのであろうか。 当時、この村にも儒教の教えは浸透していたようである。 しかも16歳の少年が、学...
医学史ひとこま

シーボルトのみた日本

医師、シーボルト 日本人にとってシーボルトは日本近代医学の恩人として記憶に新しい。 ところがヨーロッパ社会は、彼を医学者でなく世界一の日本通、とくに日本植物におけるエキスパートとして評価しており、同じ賞賛にしてもその評価は奇妙なほど異なる。...
興味深い日本人

村田蔵六(大村益次郎)の武士道

緒方洪庵の適塾 適塾は医学塾というより蘭学塾である。医師緒方洪庵が診療と平行して開設したものである。その人情味溢れる教育指導は全国に鳴り響き、門弟は延べ3000人を数えたという。 幕末、西洋を知るには蘭語だけがその糸口であり、ペリーの恫喝に...
日本人気質

切腹の美学

土佐勤王党、吉田東洋を暗殺 土佐勤王党の領袖・武市半平太が壮烈な三文字腹で切腹したのは、慶応元年5月、陽が落ちて篝火の焚かれる時刻であった。 土佐勤王党は武市が"一藩勤皇"を唱え、下級藩士・郷士200名を擁して成立した。これに対し土佐藩参政...
興味深い日本人

甲子夜話(かっしやわ)の著者 松浦静山

平戸藩 藩主・松浦静山 文政4年(1821年)11月17日、甲子(きのえね)の夜、平戸藩の元藩主、松浦(まつら)静山は親友、林大学頭(だいがくのかみ)の勧めにより、心にとどめた日常の出来事を日々書き留めることとした。62歳のことである。 以...
興味深い日本人

時代を先駆けした田沼意次

希代の財政通 田沼意次 儒教は農業を基盤とした世界であって、商業では決してない。まして士大夫たる武士が商売に携わるなど、想像だにできぬことであった。 そういう観念で頭ががんじがらめになっている江戸城に、突然ふって沸いたように、商業で幕府の財...
医学史ひとこま

解体新書

山脇東洋と酒井忠用 たとえ処刑された罪人であっても、そのからだを切り刻んで中を覗いてみるなど、儒教国日本では義に反する不遜極まりない出来事である。 五臓六腑の真否を正すため人体解剖をしたいという山脇東洋の願いは、不義・不忠のきわみであった。...
江戸時代

時代を先駆けした田沼意次

儒教は農業を基盤とした世界であって、商業では決してない。 まして士大夫たる武士が商売に携わるなど、想像だにできぬことであった。 そういう観念で頭ががんじがらめになっている江戸城に、突然ふって沸いたように、商業で幕府の財政を立て直そうとする人...
江戸時代

柳生宗矩の見据えた先

その日の生活にも難渋する少年期を送った宗矩は、幸運にも父、石舟斎の武芸(無刀取り)が家康の目に留まり、その縁で徳川家に奉公する身となる。 その後、関が原や大阪夏の陣に活躍した後、将軍家剣術師範という武人としてこの上なき地位についた。 身の保...
幕末

鯨海酔侯(げいかいすいこう)

文久2年、江戸に幽居する山内容堂は片腕と頼む吉田東洋が暗殺され、土佐勤王党のへの憎悪を募らせていた。 もともと彼は、幕府のおかげで奇跡的な幸運を得て藩主となった経緯がある。 幕府には人一倍恩義を感じていた。 したがって時流が倒幕に向かってい...
江戸時代

甲子夜話(かっしやわ)

文政4年(1821年)11月17日、甲子(きのえね)の夜、平戸藩の元藩主、松浦(まつら)静山は親友、林大学頭(だいがくのかみ)の勧めにより、心にとどめた日常の出来事を日々書き留めることとした。 62歳のことである。 以後20年間毎日欠かさず...
四季雑感

憑依するひとびと

若い頃山が好きでよく登った。 ひとりうっそうとした森の中を歩いていると、まわりに何かいるような気配を感じた。 人ではない。 言葉に表しにくい山の精ともいうべきなにかである。 縄文時代の人口はたかだか50万である。 山に入ればまわりに人影とて...
日本人風雅考

技術について その3

学生時代、試験の前日になって膨大な資料を前にとても覚えきれぬと嘆いた思い出は誰にもあるだろう。 ところが、知的障害をもつ自閉症のひとのなかに、膨大な量の書物を一読しただけですべて暗記してしまい、楽譜は読めないがピアノ曲を一度聴いただけで、た...
四季雑感

もはや住むべき土地はないか

久しぶりに地球儀をみて、あらためてわが国の狭小なることを思った。 その狭き土地のことである。 都会では、目の覚めるような高値で平然と売りに出されているが、住むべきところはもう僅かだと聞くと、なんとしても欲しくなるものらしい。 室町のおわりま...
四季雑感

四国にも霊山あり

松山市の郊外久万高原から車で面河渓谷に向かい、30分ほど九十九折りの山道を登りきると、突然視界が開けて四国カルストの台地に到着する。 放牧された牛たちの間延びした動きに、下界ですり減らした神経の愚かさを恥じながら山荘に腰を落ち着け、一夜を過...
四季雑感

ときには死生観も

死生観に関する論客を見渡す限り、故キュウプラロス氏ほど光芒を放つ人物はいないとおもわれる。 彼女は若い頃、第2次大戦後の被災者救護のため、国際ボランチア奉仕団にはいり、ポーランドのマイダネク強制収容所に出向きます。 ここで、ナチの犠牲者であ...
平安時代

藤原泰衡の苦悩

100年続いた奥州藤原氏最後の当主・泰衡を評価したい。 1189年、頼朝の攻撃を受けた彼は、平泉に陣をしかず、北へ逃走した。 通常、強大な相手に攻められた場合は、堀や土塁を築き、館にこもって、焦土作戦をとるのが普通だが、彼はそれをしなかった...
海外紀行

トスカ

学生時代、友人の紹介でレナータ・テバルディーを知った。 帝王といわれたカラヤン全盛の当時、ソプラノはアリア・カラスの独壇場にみえたが、その艶やかさは日本人好みとは思えなかった。 友人からカラスに対抗できるのはテバルディーしかいないよと言われ...
戦国時代

近江守護・京極氏のことなど

室町幕府は守護大名の連合政権といえる。 幕府本体が頼りないため、有力守護は政権維持のために、やむなく郷里を離れ京に住まなければならなかった。 このため守護は、自分の領地の経営を他人に任さなければならなくなり、ついには領主の地位を乗っ取られて...
幕末

切腹の美学

土佐勤王党の領袖・武市半平太が壮烈な三文字腹で切腹したのは、慶応元年5月、陽が落ちて篝火の焚かれる時刻であった。 土佐勤王党は武市が”一藩勤皇”を唱え、下級藩士・郷士200名を擁して成立した。 これに対し土佐藩参政・吉田東洋は、安政の大獄の...
興味深い日本人

山内一豊の妻

家康、上杉討伐を目論む 秀吉が逝去したあと、家康は頭が痛かった。 自分の齢を考えると、天下を窺うに時間はさほど残されていない。 このまま争乱もなく、平和が続くようなことになると大変である。 覇権を握るためには、秀頼を支持する勢力を、なんとし...
戦国時代

千代の深謀遠慮と家康

秀吉が逝去したあと、家康は頭が痛かった。 自分の齢を考えると、天下を窺うに時間はさほど残されていない。 このまま争乱もなく、平和が続くようなことになると大変である。 覇権を握るためには、秀頼を支持する勢力を、なんとしても短期間に抹殺しなけれ...
明治

木戸と大久保の手法

木戸孝允と大久保利通は維新政府の二大巨頭である。 比較的リベラルな木戸に対し、大久保は中央集権への志向が強い保守派である。 政策上は相容れない部分が多かったが、互いに敬意を払い、相手をたてることにやぶさかでなかった。 下からの意見の具申に対...
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