FUGA

日本人風雅考

日本人にみられる特有の風雅のこころを採り上げてみます。

数寄(すき)

日本人について

日本人風雅考

数寄(すき)

歌道の風流 数寄は風流・風雅に心を寄せることをいい、鎌倉時代に入り、歌道の風流を意味するようになった。 それを体現したひとに西行がいる。家族を捨て歌道の道に没入した西行に、世間は憧憬と賞賛を惜しまなかったため、後世、彼に続こうとするものが絶...
日本人風雅考

花鳥風月の花鳥は地上に生ける動植物を、風月は雨、風、雲、月など見上げる大空の移ろいを表わしている。 かつてわれらの祖先は、音も色も乏しい淡泊な世界に生きていた。 身の回りは宮廷の朱色とは無縁のくすんだ住家、夜になれば灯明の薄明りのなかで、人...
日本人気質

日本人捕虜文化

我が国は過去に天下を二分する国内戦を3度、経験している。 1度目は源平合戦で、東の源氏が西の平氏を打ち破っている。これを機に、実権が貴族から武士へ移譲され、武家政権が誕生した。 2度目は関ヶ原の合戦で、やはり家康率いる東軍が光成率いる西軍を...
興味深い日本人

空海の世界

われわれ日本人がもった天才と呼ぶにふさわしい人物といえば、どうしても空海の名を挙げざるを得ない。ひとりで真言密教を構築して高野山に一大密教教団を組織し、京の東寺、奈良の東大寺の別当を兼ねながら、密教理論に多くの著作を残した。 また、書・絵画...
古代

六朝文化の伝来

我が国ではしばしば空白の4世紀といわれるが、この時期全国の豪族なかで頭ひとつ抜けたヤマト連合政権が前方後円墳をつくって諸豪族に威容を見せつけ、一方では鉄の産地任那、百済に吸い寄せられるように朝鮮半島へ乗り出した。武器、生活器として鉄を持つも...
医学史ひとこま

ドイツ医学導入 哀話

イギリス医学 維新がなってわずか2年、政府官吏とはいえ、ついこの間まで佐賀の下級武士であった相良知安(さがらともやす)が旧土佐藩主山内容堂に向かって、「これからはイギリスでなくドイツ医学だ」と大見得を切るほどに、世の中は変わっていない。 な...
日本人気質

安楽死

消極的安楽死と積極的安楽死 誰でも死ぬときは人としてのプライドを保ったまま尊厳死、楽に逝ける(安楽死)ことを願うだろう。 元気なうちに遺書となる「尊厳死の宣言書」(リビングウィル)を書いておけば、医師側も家族の同意を得て治療を中止するため、...
医学史ひとこま

CTの発明者 ハウンズフィールド

大学に在籍したことも、研究室に在籍したこともなく、まして医学知識すらない一介のサラリーマンが、医学史上画期的な成果をあげ、ノーベル賞を授与されたという夢物語である。 話題の主、ゴッドフリー・ハウンズフィールド(1919~- 2004)は、温...
日本人風雅考

「もののあわれ」と「やまとごころ」

源氏物語への想い 宝暦13年(1763年)、世に名高い“松坂の一夜”で賀茂真淵との対面を果たした本居宣長は、これを機に『古事記』や『万葉集』の研究に本腰を入れるのであるが、なんといっても『源氏物語』は彼にとって特別の存在であった。 そこで、...
日本人の宗教心

儒教精神

突然、君は儒教の教えに従って生きているかと問われたら、とんでもないと答えるだろう。 そんなことは考えたこともないというだろうが、親孝行をしなければとか、弱いものには思いやりをもって接するとか、嘘はつかないとか、目上のひとには礼儀正しく接する...
日本人の宗教心

禅の世界

われわれは家に入ると靴を脱ぐ。居間では坐るのが当たり前である。 心乱れたときに自らを落ち着かせるため坐禅を組むのも、坐る文化の延長線上にある。 欧米人が禅に対して抱く憧れは、坐禅という静謐な雰囲気と、神のいない世界にいて、ひらすら自分だけを...
興味深い日本人

古文辞学の祖 荻生徂徠

朱子学の大義名分論 中国において儒教は紀元前1世紀、漢の時代に国教となったが、その後外来の仏教に圧倒され鎮火していた。 10世紀、宋の時代になって官僚を中心に儒教復活の機運が盛り上がり、13世紀になって朱熹によって朱子学が完成した。庶民では...
江戸時代

古文辞学の祖 荻生徂徠

中国において儒教は紀元前1世紀、漢の時代に国教となったが、その後外来の仏教に圧倒され鎮火していた。 10世紀、宋の時代になって官僚を中心に儒教復活の機運が盛り上がり、13世紀になって朱熹によって朱子学が完成した。 庶民ではなく、士大夫つまり...
医学史ひとこま

X線の発見

1894年(明治27年)といえば、日清戦争勃発の年であり、漱石や子規の時代である。 そのころ、海を隔てたドイツのヴュルツブルク大学では、物理学教授レントゲンが、圧力による固体や液体の物性変化の研究に取り組んでいた。そして翌年の秋ごろから、彼...
医学史ひとこま

「フォト51」の撮影者 ロザリンド・フランクリン

ユダヤ人家系のロザリンド・フランクリンがケンブリッジ大学に学んだ当時は、大学側がやっとユダヤ人と女子学生の入学を認め始めた頃で、彼女にとって決して快適な環境にはなかった。 しかしフランクリンは首席に次ぐ成績で卒業し、大学院で石炭の結晶構造の...
平安時代

日本料理中興の祖・藤原山蔭の包丁式

平安の初期、料理通であった光孝天皇が四条中納言、藤原山蔭に命じて料理作法(庖丁式)の新式を定めた。 当時、遣唐使を通じて唐の食習慣・調理法が日本にもたらされ、これが日本風に消化されたものを故実という形で藤原山蔭がまとめあげた。 山蔭は初めて...
日本人の宗教心

阿修羅

ひとりで何人分もの働きをすることを、三面六臂とも八面六臂ともいう。 「臂」とは手首から肘にいたる前腕の意で、3つの顔と6つの腕をもつ仏像から来ている。 八面六臂像は現実には存在しないが、超人的な働きをするという意味からそう呼ばれるようになっ...
日本人気質

武士道精神

幕末武士道と無私 欧米に出かけた若者がもっともよくうける質問のひとつが、日本のサムライについてだそうである。 どうもサムライや武士道は欧米人にとって東洋の魅惑のひとつであるらしい。 欧米ばかりか我が国でも、若者たちが「サムライ」や「武士道」...
日本人風雅考

秋色

9月も中旬というのに日中はなお30度を超えるという。 この暑さに辟易していた仲間と示し合わせて、四国カルストへ出かけることにした。 秋は「山粧う」といい、山へ足を踏み入れただけで野山は一斉に色づき、すでに秋色が深い。 耳を澄ますと、蟋蟀(コ...
日本人気質

相対的無宗教

現在のわれわれは生きている間、宗教と深く関わることはほとんどない。 自らの葬儀にあたり、戒名を得てはじめて仏門に入るという次第である。 位牌・法事・先祖供養などは儒教からの借り物であるが、それにこだわるものもない。 ほとんど無宗教といってい...
日本人風雅考

涼風(すずかぜ)

先週までの執拗な五月雨(さみだれ)と落雷の攻勢に、うんざりしたのも束の間、今朝、目覚めてみると街中は、まごうかたなき盛夏となり、突然訪れた白南風(しろはえ)の明るさに一瞬目がくらむ。 この暑さには一日とて閉口しないものはないが、古人は暑さを...
日本人風雅考

“花便り”に耳を澄ませ、“花催い”に胸をときめかせて“花を待つ”日は長かったが、高知の“初桜”を皮切りに一斉に開花となった。 それにしても“初花”と聞いた途端、“花冷え”となり、“花曇り”の日が続く。 時にうっすらと“花の雨”が降りかかり、...
日本人気質

苦労人崇拝

学生達をみると、昔も今も、ガリ勉してないふりをしながら、陰でこっそり勉強するのが常である。 できることなら、「努力しないのにできる奴」といわれたい。何といってもカッコいい。学生にとっては憧れである。 ところでこの風潮、アメリカでも全く同じ。...
日本人気質

家族の絆(きずな)

家族の扱い ある外国の中年男性が、 「自分はよく娘と一緒に散歩をするのだが、日本人の父親と娘が一緒に散歩するのを見たことがない。日本人が家族を大事にするというのは本当か?」 という質問をしていた。 確かに年頃の娘と歩く父親の姿はあまり見かけ...
日本人の宗教心

因果応報

ある結果に至った経緯を探ると、直接の原因はひとつでも、それに関する様々の条件がそろって初めて結果が生まれるという事実に気付く。 直接の原因を因といい、それを助ける条件を縁と呼ぶ。あわせて因縁という。 つまり因縁があって初めて結果がでる。これ...
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