浦岡 正義

鎌倉時代

本願寺物語

もともと本願寺はお寺でなく、廟堂である。 1262年、親鸞は亡くなったあと、「大谷」の地に納骨され、のちに信徒が参詣するための廟堂が建てられて「大谷廟堂」と尊称された。 廟堂は親鸞の末娘・覚信尼の子孫が代々世襲、管理するようになり、3代あと...
鎌倉時代

異色の上皇 ”後白河上皇と後鳥羽上皇”

現役の天皇が次の天皇を意中のひとに継がせるため、早めに天皇を辞して上皇となり、若き天皇が育つまで後ろから操る傀儡政権の仕組みを、院政と呼ぶ。 院とは上皇のこと。したがって院政をしいて権力を振るう上皇は「治天の君」と呼ばれた。最高権力者の意で...
興味深い外国人

デカルトとパスカルの相克

デカルトとパスカルは、ともにフランス人で稀代の数学者、哲学者である。 デカルトは3代将軍・徳川家光と同時代人であり、32歳で思索の世界にこもり、独自の世界観、宇宙感を構築していた頃、パスカルはまだ少年時代にいる。 当時宗教世界を覆っていたの...
日本人気質

ぬるま湯農耕民族

農業国家 近年、日本人の半数が大都会へ流入し、田舎で農業をするものが激減した。その結果、食料自給率は40%を切り危機的状況を呈している。 しかしそれはこの数十年の異変であって、我が国は2000年間、水稲農耕で生きてきた正真正銘の農業国家であ...
日本人気質

日本の忠義

武士の心構え 忠義は鎌倉時代に生れた武士の心構えである。 古来、関東平野は貴族不在とはいえ、すでに彼らの所有地である。都の貴族は関東に住む豪族(農業主)に軍備を整えさせ、住民から徴税させて安穏としていた。 ところが関東平野はとりわけ、土地の...
日本人気質

苦肉の策“神仏習合”

神代の国 古来我が国は、八百万の神のまします神代の国であった。無論、神が目に見えるわけでなく、森羅万象に宿ると信じられてきた。 ところが6世紀、百済から朝廷に仏像が献上されると、朝廷はその扱いに戸惑うこととなった。なにしろいきなり、異国の神...
日本人風雅考

数寄(すき)

歌道の風流 数寄は風流・風雅に心を寄せることをいい、鎌倉時代に入り、歌道の風流を意味するようになった。 それを体現したひとに西行がいる。家族を捨て歌道の道に没入した西行に、世間は憧憬と賞賛を惜しまなかったため、後世、彼に続こうとするものが絶...
海外紀行

スウェーデン紀行

1979年の秋、学会出席のためスウェーデンへ出発した。アンカレッジ経由であったから、エコノミークラスの狭い客席に閉じ込められ、16時間、身動きがとれず、もう外国はこりごりとため息をついた記憶がある。 ストックホルムについた日、空港は「ボルボ...
海外紀行

プラハ紀行

霧にけぶるモルダウから望む冬のプラハは、音も色も息を潜めたかのごとく、ひっそりしている。 2度にわたり世界大戦の戦禍を逃れたこの街は、中世を手付かずに残して、訪れるもののノスタルジーを誘うに十分な風情である。 街の案内をしてくれたK氏は、プ...
海外紀行

ベルリン紀行

ベルリンで知り合ったI氏は、在独30年の日本人である。 長らく西ドイツのミュンヘンに住み、牧歌的風土がとても気に入っていると話してくれた。 彼によると、北海に近く、荒々しい気風のハンブルグとは犬猿の仲で、ライバル意識も尋常でない。が、首都ベ...
日本人風雅考

花鳥風月の花鳥は地上に生ける動植物を、風月は雨、風、雲、月など見上げる大空の移ろいを表わしている。 かつてわれらの祖先は、音も色も乏しい淡泊な世界に生きていた。 身の回りは宮廷の朱色とは無縁のくすんだ住家、夜になれば灯明の薄明りのなかで、人...
日本人気質

日本人捕虜文化

我が国は過去に天下を二分する国内戦を3度、経験している。 1度目は源平合戦で、東の源氏が西の平氏を打ち破っている。これを機に、実権が貴族から武士へ移譲され、武家政権が誕生した。 2度目は関ヶ原の合戦で、やはり家康率いる東軍が光成率いる西軍を...
興味深い日本人

空海の世界

われわれ日本人がもった天才と呼ぶにふさわしい人物といえば、どうしても空海の名を挙げざるを得ない。ひとりで真言密教を構築して高野山に一大密教教団を組織し、京の東寺、奈良の東大寺の別当を兼ねながら、密教理論に多くの著作を残した。 また、書・絵画...
海外紀行

ベルギー紀行

ベルギーは人口1千万、四国と九州の中間くらいの小国である。 とくにベルギー語というものはなく、北部(フランドル地方)はオランダ語、南部(ワロン地方)はフランス語が公用語で、首都ブリュッセルでは、両者が公用語である。 オランダ語圏とフランス語...
海外紀行

オランダ・ライデン紀行

16世紀は「太陽の没することなき国」スペインの時代である。 スペイン・ハプスブルグ帝国の盟主・フェリペ2世はプロテスタントという疫病からカトリックを守る守護神であり、カトリック世界の期待を一身に集めている。 我が国では織田信長の時代にあたる...
古代

六朝文化の伝来

我が国ではしばしば空白の4世紀といわれるが、この時期全国の豪族なかで頭ひとつ抜けたヤマト連合政権が前方後円墳をつくって諸豪族に威容を見せつけ、一方では鉄の産地任那、百済に吸い寄せられるように朝鮮半島へ乗り出した。武器、生活器として鉄を持つも...
医学史ひとこま

ドイツ医学導入 哀話

イギリス医学 維新がなってわずか2年、政府官吏とはいえ、ついこの間まで佐賀の下級武士であった相良知安(さがらともやす)が旧土佐藩主山内容堂に向かって、「これからはイギリスでなくドイツ医学だ」と大見得を切るほどに、世の中は変わっていない。 な...
日本人気質

安楽死

消極的安楽死と積極的安楽死 誰でも死ぬときは人としてのプライドを保ったまま尊厳死、楽に逝ける(安楽死)ことを願うだろう。 元気なうちに遺書となる「尊厳死の宣言書」(リビングウィル)を書いておけば、医師側も家族の同意を得て治療を中止するため、...
海外紀行

エズ村(南仏)散策

学生時代、ニーチェは、若者の鬱積を解消する清涼剤のように捉えられていた気がする。 しかし、その思想は斬新ではあるが、飲み込むのは容易でなかった。 多くの若者が、手塚富雄先生の訳された「ツラトストラはかく語りき」の超人思想を前に、呆然と立ち尽...
医学史ひとこま

CTの発明者 ハウンズフィールド

大学に在籍したことも、研究室に在籍したこともなく、まして医学知識すらない一介のサラリーマンが、医学史上画期的な成果をあげ、ノーベル賞を授与されたという夢物語である。 話題の主、ゴッドフリー・ハウンズフィールド(1919~- 2004)は、温...
日本人風雅考

「もののあわれ」と「やまとごころ」

源氏物語への想い 宝暦13年(1763年)、世に名高い“松坂の一夜”で賀茂真淵との対面を果たした本居宣長は、これを機に『古事記』や『万葉集』の研究に本腰を入れるのであるが、なんといっても『源氏物語』は彼にとって特別の存在であった。 そこで、...
日本人の宗教心

儒教精神

突然、君は儒教の教えに従って生きているかと問われたら、とんでもないと答えるだろう。 そんなことは考えたこともないというだろうが、親孝行をしなければとか、弱いものには思いやりをもって接するとか、嘘はつかないとか、目上のひとには礼儀正しく接する...
日本人の宗教心

禅の世界

われわれは家に入ると靴を脱ぐ。居間では坐るのが当たり前である。 心乱れたときに自らを落ち着かせるため坐禅を組むのも、坐る文化の延長線上にある。 欧米人が禅に対して抱く憧れは、坐禅という静謐な雰囲気と、神のいない世界にいて、ひらすら自分だけを...
興味深い日本人

古文辞学の祖 荻生徂徠

朱子学の大義名分論 中国において儒教は紀元前1世紀、漢の時代に国教となったが、その後外来の仏教に圧倒され鎮火していた。 10世紀、宋の時代になって官僚を中心に儒教復活の機運が盛り上がり、13世紀になって朱熹によって朱子学が完成した。庶民では...
江戸時代

古文辞学の祖 荻生徂徠

中国において儒教は紀元前1世紀、漢の時代に国教となったが、その後外来の仏教に圧倒され鎮火していた。 10世紀、宋の時代になって官僚を中心に儒教復活の機運が盛り上がり、13世紀になって朱熹によって朱子学が完成した。 庶民ではなく、士大夫つまり...
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