浦岡 正義

江戸時代

武士の給料

江戸時代、1万石以上の知行地をもつものを大名といい、それ以下の幕府直参を旗本、御家人といった。 旗本は200石以上、将軍へ御目見えできる者で、御家人はそれ以下の給与所得者である。旗本は知行地を治める能力があると認められ、知行取りと呼ばれた。...
四季雑感

旧き良き土佐は今?

いごっそう 最近は「いごっそう」がいなくなりましたと、土佐の友人から聞き及んだ。 いごっそうは異骨相とも書き、いかめしい風貌を想像するが、じつは見た目ではない。強烈な自己主張、筋を通す、容易に迎合しない、他人の話を聞かないなどから髣髴とされ...
興味深い日本人

大久保利通の東京遷都

大政奉還という奇手 慶応3年、徳川慶喜は大政奉還という奇手をうって、薩長の出鼻をくじいた。 倒幕の密勅を得て意気盛んな大久保、西郷は、猫だましを食らったように腰が砕け、武力行使ができなくなった。 欧米列強がわが国を虎視眈々と狙っている今、大...
興味深い日本人

家康の旗印

天台宗寛永寺と浄土宗増上寺 家康は江戸に幕府を開くにあたり、京都の朝廷に対抗して天台宗の大寺を建立しようと計画し、家光によって東叡山寛永寺が完成した。最も権威ある天台宗・比叡山延暦寺を意識してのことである。 家康自身は浄土宗であるから、これ...
江戸時代

厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)

家康は江戸に幕府を開くにあたり、京都の朝廷に対抗して天台宗の大寺を建立しようと計画し、家光によって東叡山寛永寺が完成した。 最も権威ある天台宗・比叡山延暦寺を意識してのことである。家康自身は浄土宗であるから、これを天台宗と同格に引き上げ、芝...
四季雑感

ツバメ問答

今年もツバメが飛来した。我が家の軒下にもやってきてガヤガヤとかまびすしい。すでに30年来の風景である。 古来、ツバメは稲の害虫を退治してくれる益鳥と教わってきたうえに、森の中に巣をつくらず、人家の軒下に居を構えるため、他の鳥たちより、親しみ...
幕末

尊王攘夷

江戸時代、庶民にとって仰ぎ見るのは徳川将軍家であって、京にいる天皇ではない。 この時期、幕府には800万石の収入がありながら、朝廷は幕府からわずか3万石を付与されるだけで、生きながらえている状況である。天皇は京都御所で息をひそめており、庶民...
四季雑感

土地は誰のものか

加賀120万石、伊達62万石という。 一石はひとりが一年間に食べる米の量に相当するから、これに年貢率をかけると、どれほどの戦闘員を養えるかが計算できる。 つまり石高は大名の財力だけでなく、保有する戦闘能力を誇示するものであった。 江戸時代の...
戦国時代

豪勇、佐々 成政(さっさ なりまさ)

これ以外生き延びる手はないという危機的状況でなければ、だれも真冬の北アルプスを横断するなどという、無謀な冒険はしないはずである。 ところが400年も前にその無謀に挑んだ男がいる。富山城主・佐々 成政である。 戦国期の動乱のなかで、成政は切羽...
興味深い日本人

瀬戸磁器の祖 加藤民吉

有田焼の祖  李参平 日本初の白磁を焼いたのは陶工、李参平である。秀吉の朝鮮出兵の捕虜として来日した。17世紀初頭、有田地区の泉山に白磁鉱を発見し、ここに窯を開いて人々から「陶祖」とあがめられ、有田焼の祖となった。 柿右衛門の濁手(にごしで...
記憶に残る伊予人

関西財界の雄 土居通夫

居合抜きの名人は、めっぽう数字に強かった 土居通夫は天保8(1838)年、宇和島藩下級武士の6男として生まれた。少年期より知識欲が旺盛で、藩校・明倫館で漢学を学び、壱岐三郎太夫に越後流軍学、不川顕賢に算数を学んだ。さらに22歳で窪田派田宮流...
世界史ひとこま

錬金術と幻想

今や錬金術といえば利殖目的の不動産投資や悪徳商法を指すことが多いが、もともとは一般の物質を完全な物質に造り替えようとする技術を指した。錬は修練、鍛錬、錬成など、ねり、鍛えるという意である。 とくに中世のヨーロッパでは、「賢者の石」なる触媒を...
明治

明治維新誕生の不思議

明治維新というクーデターが、頂点に明確な統率者をいだかないまま行われたというのは、どうにも奇妙な現象というほかない。 革命勢力の中心となった薩長の藩主、島津久光、毛利敬親はともに郷里にいて、部下のものから戦況を聞くだけである。 実働している...
興味深い外国人

荘子の自由論

老子が逝って100年ののち(紀元前300年頃)、荘子は殷のあとにできた宋の国に生を享けた。 老荘と一括りにして扱われるが、無論両者に面識はない。世は群雄割拠の戦国時代であり、殷人の移住した弱小国・宋は、周辺国から軽視されること甚だしかったと...
日本人の宗教心

般若心経を唱える人々

釈迦が説いたもの その昔、釈迦は、人生は思いのままにならないことばかりであるとの結論に達し、この世は「一切皆苦」であると嘆息した。そしてその苦しみの根源は無明(煩悩)にあり、そのせいで12の不幸が連鎖的におこり、最後に老死という苦悩を迎える...
四季雑感

生態系のバランスについて

私たちは野山に出かけ、川のせせらぎや鳥のさえずりを聞くと、なんと自然は美しく調和に富んでいると心豊かになるのであるが、本当は事実から目をそらしているだけで、自然がそんな善意で動いていないことは、誰もが承知している。 食物連鎖で植物は昆虫に、...
四季雑感

視るということ

40年前の非常識は、今や常識であるというはなしである。 当時、初期の胃癌には盛り上がるものとへこむものがあるというのに、初期の大腸癌には盛り上がるものしかないといわれていた。 どうも変だなと誰もが思っていたが、内視鏡検査をしても、へこんだ癌...
日本人気質

後の先(ごのせん)  

積極的防衛 後の先は剣術の護身に重きをおく戦術として発生した。 馬庭念流(まにわねんりゅう)という武術がある。 かつて戦国時代、上州の馬庭村(現群馬県高崎市馬庭)に住む兵法家、樋口定次が庶民の護身術として作り上げたもので、身を守ることに主眼...
興味深い外国人

老子、道教の神となる

今から2千数百年前の老子の時代、中国は群雄割拠した戦国の世である。為政者はいかにして領土を広げ、自分の国を富ませるかに執心した。 このため、全国に諸子百家が現れ、リーダーのとるべき統治論を力説した。 その最大勢力が孔子を始めとする儒家であり...
興味深い日本人

天心の「茶の本」

岡倉天心とボストン美術館 今ならボストン直行便があるから問題ないが、100年前はそうはいかない。 西海岸のサンフランシスコやカルフォルニアとは比べられぬほど、ボストンは遠い。何日もかけてアメリカ大陸を横断しなければならない。いざボストンとな...
海外紀行

パリ紀行(2)

パリ郊外の古城群のひとつ、アンポワーズ城を訪れた時のこと。 城の出口につくられた小さな土産物店に10人ほどの白人客が並んでいた。自分もその列に並んで順番を待っていたのだが、しばらく経ってもまったく動きがない。不審におもってカウンターのなかを...
興味深い日本人

松陰の死生観

幽囚録 「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如く...
平安時代

藤原氏はどこへ行ったか?

藤原氏は大化の改新の立役者である中臣鎌足を始祖とする。 もともと中臣氏は代々、神事・祭祀を司る宮廷貴族であった。 中臣鎌足は死に望んで天智天皇より藤原姓を賜り、息子の不比等からは中臣氏でなく藤原氏を名乗るようになった。 ちなみに藤原の名は鎌...
鎌倉時代

8代執権 北条時宗の苦悩

我が国は直接大陸の利害が及ぶことのない孤島である。このためこちらから手をださなければ、容易に外から攻められることはない。 しかし、2度だけ手を出したことがある。一度目は天智天皇、2度目は太閤秀吉である。 663年、天智天皇は百済の要請に応じ...
昭和

エコロジーの提唱者・南方熊楠(みなかたくまぐす)

南方熊楠は、我が国でエコロジーを初めて唱えた人である。 エコロジーとは人間と自然とが共存していこうとする考え方で、「地球にやさしい生活」とか、「環境にやさしい生活」と言い換えることができる。 明治政府は国家神道の権威を高める為、神社合祀令を...
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